ラザールダイアモンドの歴史を知る~世界3大ダイヤモンドカッターズブランドと呼ばれるまでの軌跡~

ラザールダイアモンドの歴史を知る~世界3大ダイヤモンドカッターズブランドと呼ばれるまでの軌跡~

ラザール・キャプランの軌跡

~Since 1883~

世紀を超えて今なお輝く、世界で最も美しいダイヤモンド

世界で最も美しいダイヤモンド。

それはたった1人の男の情熱から生まれました。

彼の名はラザール・キャプラン。

ラザール・キャプラン社の創設者です。

今日ではよく知られる”アイデアルメイク”という理想的なカッティングを実践し、世界のカッターや名だたるジュエラーから世界最高峰の輝き“The world’s most beautiful diamond.”と惜しみのない賞賛を受けています。

またダイヤモンドの世界品質基準「4C」についてもカットの重要性を説き、基準のひとつとしてカットを加えたこともラザール・キャプランの偉業のひとつです。

このようにラザール・キャプランの人生はまさにダイヤモンドの歴史といっても過言ではありません。

1883年に生を受けた後一世紀以上、時を超えてなお輝きを増す、ラザール・キャプランのダイヤモンドに捧げた一生を辿っていきます。

 

第一章

ラザール・キャプランの軌跡

偉大なダイヤモンドカッターの誕生

ラザールダイヤモンドの創業者ラザール・キャプランは1883年7月17日、ロシアのある村に生を受けました。

就学前に10人の兄妹のうち8人を疫病で亡くすという悲劇に見舞われました。

ラザール・キャプランはその悲劇を心の奥にしまい込み、父親と生き残った家族とともにベルギーのアントワープに移住しました。

ベルギーのアントワープは15世紀からダイヤモンド産業の中心地でダイヤモンドの研磨技術も世界最高峰。

その技術の高さは、フランス王フランソワ1世がパリの職人ではなくアントワープの研磨工に依頼したほどです。

ラザール・キャプランはアントワープでダイヤモンド研磨技術を学びます。

まだティーンエイジャーだったラザール・キャプランはは飛び抜けた才能を示しました。

それもそのはず、ラザール・キャプランの曽祖父や祖父は宝石職人、父は時計職人であり、その才能は家族譲りでした。

また従兄弟は“アイデアルメイク”として知られるダイヤモンドが最高の輝きを放つプロポーションを数学的に証明したマルセル・トルコフスキーだったのです。

1903年、ラザール・キャプランは弱冠20歳という若さでカッティング事業を開始。

22歳の頃にはアントワープで最も優れたダイヤモンドカッターとして認められるようになりました。

結婚。そして悲劇

ラザール・キャプランは人生で二度にわたって全財産を失うなど波乱の人生を送っています。

そんな彼の人生において最大の幸福は、妻シャーロット・キットワーと出逢ったことかもしれません。

シャーロットは芸術や音楽を愛し、9ヶ国語を操るとても教養のある女性でした。

ラザール・キャプランはシャーロットを心から愛し、その証として最高の輝きを放つダイヤモンドの指輪を婚約指輪として贈りました。

シャーロットもまたラザール・キャプランを深く愛し、結婚後どんなときもひたむきに家族に愛情を注ぎ、常に家族を支え続けました。

ラザール・キャプランはカッティングの仕事以外にも、妻シャーロットと共に恵まれない子どもたちのために財団を設立するなどの事業も行っていました。

慈愛に満ちたシャーロットの想い、そして正しいことを貫き通すラザール・キャプランの志。

世界で最も美しいダイヤモンドをカットする根底には、度重なる不幸に見舞われたからこそ、周りにいてくれる人々への深い感謝と愛情があったからに違いありません。

人々は彼を「クレイジー」と言った

卓越したダイヤモンドカッターとして腕を磨いたラザール・キャプランは1914年、31歳のときに渡米しニューヨークにラザール・キャプラン・インターナショナル社を設立しました。

その後、数学者で従兄弟のマルセル・トルコフスキーの58面体理論に基づいたダイヤモンドのカット「アイデアルメイク」を世界で初めて確立しました。

アイデアルメイクとは、現在では世界中の女性たちに愛されるラウンドブリリアントカットのことです。

ラザール・キャプランがこのカットを実現した当初は周りから奇異の目で見られ、業界のほとんどの人がラザール・キャプランを「クレイジー」と考えていました。

そんな中でも信念を貫いたラザール・キャプランはアイデアルメイクの重要性について、次の言葉を残しています。

「もし、大きさや重さを重視して原石をカットすれば、ダイヤモンドの模造品やガラスのような輝きが得られるだけです。適切な比率のもとにカットされたダイヤモンドだけが、その本来の美しさを見せることが出来るのです。」

新天地、プエルトリコへ

ラザール・キャプランがようやく事業を軌道に乗せた頃、アメリカが第一次世界大戦に参戦しました。

全てのカット職人は軍隊に奪われてしまったのです。

するとプエルトリコで働くエンジニアの従兄弟がラザール・キャプランにプエルトリコでビジネスをやってみてはどうかとアドバイスしてくれました。

1917年当時、プエルトリコには業種は何であれ外国人が立ち上げた製造施設は僅か2つしかありませんでした。

ラザール・キャプランはプエルトリコを旅してやがてポンセという小さな町でフランス語を話すホテルオーナーに出会いました。

彼女はカッティング工場を立ち上げるための空き家の交渉や、最初の研修生を雇う手助けをしてくれました。

ラザール・キャプランは彼らの覚えがとても早く、とても勤勉であることを知り、早速ベルギーのカッティング業社である3人の古い友人をプエルトリコに呼び寄せました。

新天地プエルトリコでのそれからの12年はとても大変でしたが実りのあるものでした。

その後ラザール・キャプランは再びニューヨークに戻ることが出来ました。

彼は息子であるレオを会社に迎えました。

レオは日中働き、夜学に通って勉強をしました。

程なく息子のジョージも会社に加わり、未来はバラ色でこの先の不幸など想像出来ない程でした。

ヨンカーダイヤモンドの奇跡

そして1929年の世界恐慌が訪れ、ラザール・キャプランは再び全てを失うことになりました。

しかし息子のレオがなけなしの300ドルを残していました。

ラザール・キャプランはこの300ドルを元手に、もう一度事業にチャレンジしました。

またしても、ラザール・キャプランのゴールデンハンドが彼自身を救うことになります。

1929年の世界恐慌後の2、3年は誰にとっても一からの出発となる不安定なものでしたが、ラザール・キャプランのダイヤモンドカッターとしての優れた能力はしだいに広く知られるようになります。

あるとき、宝石商として著名なハリー・ウィンストンが726カラットもあるダイヤモンド原石「ヨンカーダイヤモンド」を手に入れました。

ハリー・ウィンストンはこのヨンカーダイヤモンドのカッティングをラザール・キャプランに任せることにしたのです。

それはハリー・ウィンストンの馴染みのダイヤモンドカッターたちのカッティング方法とラザール・キャプランのカッティング方法が全く異なっていたからでした。

しかし困ったことに、ロンドンの保険会社のロイズはカットの際に起きたミスについては一切を保障しないという結論を下しました。

ラザール・キャプランは決してミスの出来ないプレッシャーに押しつぶされそうになります。

なぜならヨンカーダイヤモンドはこれまで発見された原石として世界で2番目の大きさをもつ非常に貴重なものだったからです。

更にアメリカに送られたダイヤモンドとしては過去最大であったことから緊張感は最高潮に達していました。

ラザール・キャプランはなんと1年の歳月をかけヨンカーダイヤモンドを調査しました。

綿密な調査を終え、一度木槌を振り下ろしてダイヤモンドを分けようとしたそのとき、微細な節目を発見し、1年をかけたこれまでの計算が間違っていたことに気づいたのです。

そんなことを繰り返しながら、ヨンカーダイヤモンドのカッティングのための様々な専門の道具を開発し準備を整えていきました。

ラザール・キャプランは「完璧な失敗か、完璧な成功か、その一打にかかっていた」と当時の瞬間を振り返っています。

そしてラザール・キャプランは見事ヨンカーダイヤモンドのカットに成功します。

誰もが失敗するだろうと考えていたこの業績によって、ラザール・キャプランはこれまでの人生で経験がないほどの名声を得ることになったのです。

GIA設立に大きく貢献

 

1931年、アメリカに宝石学の世界的教育機関であるGIA(Gemological Institute of America)が設立されました。

当時ジュエラーのほとんどが自分自身の勘と経験だけを頼りに鑑別やグレーディングを行っていました。

そんなおり、小売のジュエラーであり理想家であったロバート・M・シップリーは宝石に関する短期講座を南カリフォルニアで開きGIAを設立するに至ります。

GIAの設立によって、現在国際的に求められているダイヤモンドグレーディングとその品質表示方法として用いられる「4C」が誕生します。

この「4C」の基礎を作ったのがラザール・キャプランです。

ダイヤモンドのカラーグレーディングの際に使われる最初のマスターストーンにラザール・キャプラン社のダイヤモンドが採用されました。

これらの多大なる貢献からラザール・キャプランはGIAの名誉副会長に任命されることとなります。

これが今日、ラザール・キャプランが世界中の名門ジュエラーから厚い信頼を得ている理由なのです。

ラザール・キャプランが遺したもの

 

「いつも正しい行いをすることだよ」

ラザール・キャプランはこう言い遺しています。

ただひたすらに最高に美しく輝くカッティングをダイヤモンドに施すことに打ち込んだラザール・キャプラン。

黄金比率や白銀比など、自然界には神秘的な美しさが存在します。

ラザール・キャプランが最高の輝きを放つダイヤモンドのカッティングにこだわったのは美しさの向こう側にある自然への畏怖、そして悲劇的な経験ゆえに実感した周りの人々げの深い感謝の念があったのではないでしょうか。

“If you do to others like you do to yourself…that is how you get friends.”

「自分に対するように人と接すること…人に正直であればいい友に恵まれる。そうして友達の輪は広がる。」

これもラザール・キャプランの遺した言葉です。

彼はいつも多くの人に囲まれていました。

プエルトリコの工場を作ったときも外国からやってきたラザール・キャプランの周りにはたくさんの人がいました。

ラザール・キャプランのダイヤモンドに対する情熱、一途でひたむきな姿勢を目の当たりにした人々は彼を慕わずにはいられなかったのでしょう。

従業員の中にはラザール・キャプランを「お父さん」と呼ぶ人もいたのです。

90歳半ばになってからラザール・キャプランはりんごの果樹園を始めました。

業界のパイオニアとして挑戦を続けたラザール・キャプランは引退後も新しいチャレンジを始めたのです。

この果樹園にも息子や友人が彼を慕って集い、ラザール・キャプランはたくさんの笑顔に囲まれて穏やかな余生を過ごしたと言われています。

ラザール・キャプランが遺したものはダイヤモンドに最高のカットを施すことにとどまらず、人々に幸せと笑顔、そして希望という人生の輝きを与え続けることだったのではないでしょうか。

第二章

コーポレートアイデンティティ

最高の輝きを追い求めて

1世紀を経てなお、輝きを失わないダイヤモンドのように。

世界展開のラザール・キャプラン・インターナショナル

比類なき輝きを秘めた天然の結晶であるダイヤモンド。

世界の人々を魅了し続けるダイヤモンドの煌きは熟練した技術者の加工プロセスを抜きに語ることは出来ません。

採掘、原石の選別、ソーイング、カッティング、ポリッシング、検査。

これらの加工プロセスでいかなる妥協を許さない品質へのさまざまな取り組みがダイヤモンドの原石の持つ未知の魅力を引き出すのです。

1903年の創業以来、ラザール・キャプラン・インターナショナルは「一つひとつの原石から最高の輝きを引き出すこと」基本理念に掲げ、約1世紀にわたって「アイデアルメイク」を継承してきました。

そして1世紀を経てなお、ダイヤモンドカッターズブランドとして誇りを守り続けています。

また、宝飾の中心地であるニューヨークを本拠地としながら、世界の主要国に拠点を設け各国の市場の動向や業界構造に即した業務を行っています。

グローバルなネットワークを活かした原石の安定した供給から研磨済ダイヤモンドの流通販売に至るまで、幅広い活動をしています。

地球マーケットへの挑戦

地球規模で展開するネットワーク。

ダイヤモンド業界のリーディングカンパニーとして

ダイヤモンドの原石が発掘されてから、市場へと送り出されるまでには、実に多くの過程を経ます。

そうしたダイヤモンドビジネスの流れを形成しつつ、常に最高品質のダイヤモンドを市場に供給し続けてきたのがラザール・キャプラン・グループです。

ラザール・キャプラン・グループは世界のダイヤモンドビジネスにおいて、常にリーダーシップを発揮し、最高の輝きを提供し続けています。

ラザール・キャプラン・グループはアフリカ諸国やロシアの原石生産国におけるジョイント・ベンチャー企業の一員として活動しており、高品質なダイヤモンドの安定供給を図る事業に取り組んでいます。

更に、中南米、ヨーロッパ、アジアといった地域にも販売の拠点を設け、地域に根差したマーケティング活動を行なっています。

絆という名の力

強固な協力体制こそが、原動力となる。

信頼に支えられた原石生産国との絆

ラザール・キャプラン・グループは質の高いダイヤモンドのルースを安定的に供給することを使命と考えています。

そのためにアフリカ諸国やロシアといったダイヤモンド原石生産国に拠点を設け、生産活動における協力体制を築いてきました。

相互の信頼に支えられたこの協力体制こそ、ラザール・キャプラン・グループを有機的な組織として成長させてきたといえます。

独自のカッティング技術やノウハウを原石生産国と共有しているのも、協力体制をより強固なものにし、お互いのビジネスをより豊かなものにしていくことを目的としているからです。

この強い絆が拡大する世界の市場に対して常に高品質なダイヤモンドを適正な価格で提供し続ける原動力となっているのです。

ダイヤモンドの3つの輝き

高度な技術だけが生み出す理想的なカット。

アイデアルメイク

ラザール・キャプランの生命ともいえるアイデアルメイクは、ダイヤモンドの輝きを最大限に引き出す理想的なカットとして広く知られています。

それは1919年に創設者であるラザール・キャプランの従兄弟である数学者マルセル・トルコフスキーが考案したカット理論から生まれました。

トルコフスキーはダイヤモンド内に入り込む光を100パーセント反射させ、「ブリリアンシー」「ディスパージョン」「シンチレーション」という3つの要素が絶妙なバランスを保つ数学的理論を考案したのです。

ラザール・キャプランは世界で初めてこの理論を実践し、比類なき輝きを生み出しました。

底面を含む58面体からなるアイデアルメイクは各カット部分に理想的な寸法比率と角度を実現しなければ求める理想的な輝きは得られません。

その高度なカット技術は現在も受け継がれ、ダイヤモンドの内面から芸術的な美しい輝きを引き出しています。

透明度の高い優雅な光はもちろんのこと、側面から見たときの輝きは他の追随を許しません。

あなたのものである証

品質の保証とともに、安心を刻む。

独自のレーザー刻印

ラザール・キャプランは1982年に世界で初めてダイヤモンドのガードル部分に肉眼では見ることの出来ない微細な刻印をダイヤモンドに施す技術を開発しました。

これはダイヤモンドの輝きに影響を与えない、レーザーによる独自の刻印方法で現在ラザール・キャプラン社が提供する0.18カラット以上のラザールダイヤモンドにはブランドロゴと個別のIDナンバーが刻印されています。

このIDナンバーはデータ管理されており、万が一の事態が発生してもお客様がお持ちの証明書と照合することにより、同じダイヤモンドであるという確認が可能となります。

世界とラザール・キャプラン・グループの歴史

 

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